日本で最初に開催された皆生大会。記念すべき第1回大会に参加したのは53名。
トライアスロンに対する知識も殆どない状態でこの競技に参加したのであった。
しかし53名のパイオニアは、見事なまでにこのスポーツの素晴らしさを体感しまた見る者に感動を与えた。
その感動が今日の皆生大会、日本のトライアスロン競技を育ててきたのである。
今では連続20年くらい皆生大会に出場している選手も珍しくなくなったがなんといっても第1回大会から連続出場する権利を持つ選手は僅か53名。
記念すべき第1回大会のスタート
その歴史的な第1回大会から連続出場記録を伸ばしていた選手がいた。
皆生大会の歴史は、日本トライアスロンの歴史であり出場選手の歴史は
日本選手の歴史でもあった。
第12回大会、一人の選手が12回連続完走に挑んでいた。
もともとランナー出身の選手でランには絶対の自信があったのだが、この大会では膝に故障を抱えての出場となった。ラン10キロを過ぎた当たりで心配していた膝に痛みを感じはじめた。
痛みは益々激しくなりついには歩くことも困難になりリタイヤ申告しようとしたとき連絡を受けた大会本部は、非情な方法を選択した。なんとこの皆生大会の歴史そのものでもあるこの選手を本部車で回収して病院に搬送して痛み止めの注射を打ってもらい回収した地点まで連れて行ってレースを続行させたのである。
痛み止めの効果は絶大でこの選手は、見事12回連続出場、完走の金字塔を打ち立てたのであった。
しかしこのレースは周囲の期待とは大きく反し彼にとって苦痛以外のものでなかったようで、翌年の13回大会以降彼の姿は皆生大会で見ることはなくなった。
恐るべし記録への執着・・・・・。
(この出来事があったのは、ルールがまだ確立されていなかった時代のことであり現在では、こうした行為は
失格対象となりますのでご注意下さい。)