これぞマーシャルの中のマーシャル!?
これぞマーシャルの中のマーシャル!?

これぞマーシャルの中のマーシャル!?

日本で初めてトライアスロンレースが開催されたのが1981年。当然それは皆生大会の第1回大会が開催された都市となるわけですが、その後雨後の竹の子のように多くの大会が各地で次ぎ次ぎ立ち上げられました。しかしながらスポーツとして確立したルールは当時は存在しませんでした。各大会ごとに独自のルールを設けて大会を運営していたのです。ですから当然資格をもった審判員が競技を管理しているわけではないために、多くのルール違反(ルールはないからそうとはならないかも・・・)やマナー違反が見受けられました。

今ではほとんどの大会で日本トライアスロン連合のルールを基準にして大会が開催されるようになってきましたが、26年の歴史を誇るこの皆生大会に明確な競技ルールと審判員が設置されたのは実はそんな昔のことではありません。

第14回大会で皆生大会に初めてマーシャルが導入されました。
この大会での出来事は、いまでも皆生大会のマーシャルの間ではレジェンドとして語り継がれている出来事がありました。

バイクコースのマーシャルからコースにレースナンバーを付けていない選手がいるという報告が入ってきた。
選手なのかと確認すると「おれは○本や!」と名を名乗ったが、選手ではないようなので「選手でなければ紛らわしいからコースから出て頂けないでしょうか。」とマーシャルがやんわり促した。しかしそれでも「お前おれをしらんのか?大阪の○本や。」「○本さんだかなんだか知らんけど、邪魔になるから早く出て行ってくれ!」と語気を強めるマーシャル。「ホンマに知らんのか!?・・・おれは○本やぞ・・」
マーシャル本部に戻ってきたこのマーシャルが仲間に尋ねた。「『大阪の○本や!お前、俺の知らんのか』って怒ってたおっつぁん(おじさん)がおったけど、○本って知っとる(知ってる)?」「・・・・・」
そうです日本トライアスロン競技の草分け的存在でトライアスロンショップを経営しているあの○本氏がバイクコースにはいっていたらしいのです。トライアスロン関係者で自分のことを知らない人間がいたことに相当驚いていたのでしょうね。
しかし彼はホントにこの人を知らなかったのです。
このマーシャル自身も皆生大会の草分け的な選手でもあり古きよき皆生を支えてきた人の一人でした。
どんな有名な人であろうが分け隔てなく毅然とした態度で対応する(?)マーシャル。これぞ真のマーシャルというのではないでしょうか。

しかし、注意された○本さんも本当に知らないといわれてショックだったかもしれませんね。
でもコースに入っちゃいけませんよね、○本さん。