今年1月列車事故で亡くなったトライアスリートの思いを仲間で繋いでいこうという声から企画された駅伝チームが11月11日(土)~12日(日)に行われた第61回米子鳥取間駅伝競走大会に初出場しました。
この大会は焦土と化した戦後の日本に元気を取り戻そうとして昭和20年に初めて開催されました。
その後様々な困難の中でそのスピリッツを伝えながら61回続けられてきました。現在国内で実施されている駅伝大会で3番目の歴史を誇る大会となっています。
県西部の中心都市・米子から県都・鳥取市までの15区間107.2kmを1本のタスキで繋ぐ駅伝です。伴走車が許可されている今では珍しい大会でもあります。
ゴールアナウンサーとして長年皆生の感動のゴールを守ってきてくれた中岡みずえ(本名田子みずえ)さんの最愛のパートナーであった故田子賢治さんも繋いだ米子鳥取間駅伝競走大会。仲間の死を無駄にしないためにも彼の存在を私たちで語り続けていくための決断でもありました。またこのレースには、県内だけでなく他県からもその思いに共感してくれた仲間が参加してくれました。
チームテイケイの八尾彰一監督はじめ小原工選手、三木邦彦選手など日本を代表するトップトライアスリートがタスキを繋いでくれました。
初日は米子から倉吉までの8区間53.4km。
途中皆生大会のバイクコースを走るアップダウンの続くコース。
そして2日目は倉吉から三朝を抜けて鳥取県庁までの7区間53.8km。特に2日目は平坦な区間がアンカーの10.7kmだけで残りはすべて上るか下るしかない山岳コース。
厳しい難コースを県庁目指して必死に走り続けました。平均年齢が40歳を超すチームでしたが、一般の部で43チーム中31位と年齢的なハンディと初出場という条件からすれば大善戦をしたと思います。
志半ばでトライアスロンから離れなければならなかった仲間の思いを私たちは忘れてはならないと思います。
元気でトライアスロンを楽しむ事のできる幸せを大切にしてほしいと思います。
田子さんだけでなく多くの仲間達がトライアスロンへの思いを残したまま去っていることを忘れてはならないのです。私たちは、この競技を心から愛した多くの仲間の存在を後世に伝えていく義務を負っているのです。
鳥取県トライアスロン協会は、これからも米子鳥取間駅伝競走大会に出場してこの思いを繋げていこうと思っています。
写真集はこちら→→ http://www.nnn.co.jp/event/beicyo/photo/index.html
チームナンバーは127。小原選手の写真も掲載されています。
初日の結果は→→ http://www.nnn.co.jp/event/beicyo/sougou01.html
最終日の結果はこちら→→ http://www.nnn.co.jp/event/beicyo/sougou02.html