皆生大会を支える人々②
皆生大会を支える人々②

皆生大会を支える人々②

27年の歴史を誇る皆生大会。その歴史を支えてきた人々にスポットを当てて思いで話しや大会への思いを語っていただきます。
今回は、昨年まで自転車部長を務め今年から副競技委員長として大会全般をコーディネートされている野島譲副競技委員長に登場していただきます。
野島副競技委員長の本業は、米子市観光協会の常務理事兼事務局長として県西部の観光全般を牽引役という重職を努めておられます。

・皆生大会との出会いは?
私はもともとJR(元国鉄)の職員で昭和61年に米子市観光協会へ出向して来たときにボランティアとして参加したのがトライアスロンとの関わりのスタートでした。
たしかマラソンコースの立ち番が最初だったと思います。その後は本部周りのお手伝いをしていましたが、3年目くらいの時に自転車部のお手伝いをするようになり自転車部長となり昨年まで18年間自転車部を担当させてもらいました。

・自転車部長時代の思い出について
なんといっても100キロを超すバイクコースですからその設営にかかるエネルギーは半端じゃありません。
今では、コースを何班かにわけて看板の設置をしていますが、以前は現在のようにスタッフも多くなかったので1台のトラックに満載した看板をコースに沿って一枚ずつ立てていました。最近はそうでもないのですが、少し前まではとにかく作業するときは暑かった記憶があります。喉がからからになり1リッターのコーラを2本くらい飲みながら作業していました。

また新しい道路が出来たり沿線に施設ができたりしてコース変更が必要になってくると新コースの沿線住民の方々に大会への理解をお願いにいったりしました。
やはり地域の協力なしでこうしたスポーツは成り立たないのですよ。
こうした地域住民へのアプローチのお陰で協力体制を整えて頂いています。

・大変だったこと
なんと言っても145キロのコースにわたって選手の安心安全を守るのが、部長としての勤めだとおもっていましたから、ゴミや石ころ一つでも転倒の危険がないよう細心の注意を払ってコース整備をしていました。
また、毎年のようにコースに変更を加える必要があり新コースを作るために頭を悩ませましたね。

職場の皆さんとパチリ。もう1人男性職員がいますが、新婚旅行中でお休みでした。(この職員はトライアスリートです。)

・大会の将来像について
25回大会より開閉会式会場を市内のコンベンションセンターへ移したり、今年からはメイン会場を東山陸上競技場へ移します。皆生の素晴らしい伝統や思いは残していきながら、スポーツ大会としてのグレードアップを図っていきたいと思います。
大会の現状に満足することなくより多くの選手が参加できる大会を目指していきたいと思っています。

また米子市観光協会という立場から皆生大会を使って全国にこの地域の情報発信をしていこうと思っています。

最後になりましたが選手たちへメッセージをお願いします。
今年から副競技委員長として大会全般にわたってサポートすることとなりました。
3000名を越すボランティア、スタッフそして地域の人々が携わるイベントですからしっかり楽しんで頂きたいですね。そしてレースだけでなく温泉に入ってのんびりしたりこの時期以外にもこの地を訪れて頂くことを願っています。

月末の大変忙しい中、取材にお付き合い頂きました。
ありがとうございました。
実は、野島さんとは私も永いお付き合いで選手時代はよく看板付けもお手伝いしました。竹箒でコースを必死に掃き清めておられたのが印象的でした。インタビューの中にもあったように『石ころ一つでも選手が転倒するかもしれないから・・・』というのが口癖でそのたびに「野島さんもうやめようよ・・・。」と何度なだめたことでしょう。それほど選手の安全に配慮をされていました。これからも末永く皆生大会を見守って下さい。