『26年の歴史を積み重ねてきた皆生のゴールをなぜ今年市内に移したのか?』
皆生でスタートした選手たちは、再び皆生に戻ってくる。
これが長い皆生大会の習わしでした。選手だけでなくこの大会に携わるすべての人々に愛されてきたあの感動的なゴールは皆生大会を象徴するもののひとつであることは、万人が認めるところです。
しかし今大会からそれを敢えて市内の東山総合運動公園に移動させました。この変更については地元でも今なお賛否両両論あがっています。
反対意見では、「皆生大会のあのアットホームな雰囲気がなくなるのは、残念!」また選手からは「宿舎とゴール地点が離れてしまう。」などといったものがほとんどです。指摘されていることは、全くその通りで反論の余地はないのが正直なところではあります。
しかしそうした思いに優先させて実施したメイン会場の変更の真の目的は、皆生大会が30回、40回という長期スパンにたって発展していくための1つであったことをご理解いただきたい。
従来の皆生大会のゴールは、コンパクトな中に大会のエッセンスが凝縮された会場レイアウトとなっていました。選手と観客の距離が近く家族的な雰囲気のなかで選手を迎えることができました。
しかし反面、市民に広く皆生大会のすばらしさを共有してもらうため感動のゴールをみてくださいと呼びかけても、会場周辺には駐車場となる空き地がほとんどなくなり、またゴール周辺の歩道も狭くこれ以上の観客を呼び入れることは物理的に不可能となっていました。
ですからお気づきの方もおられるかもしれませんが、ゴール周辺に集まっている人々の顔ぶれは毎年、同じような人々であったのです。
日本トライアスロン競技発祥の地である米子市といっても大会を実際観戦したことのない市民の方が多いのが現状なのです。
より多くの市民に大会を観戦してもらい感動を共有してもらうことで大会の支援体制を確立するために英断を下したのが今大会でありました。
今大会は、あいにくの天候のため今年だけで結論を出すことは困難ですが、ピーク時の観客数は約1000名であったことは、あの気象条件を勘案すれば狙いは外れていなかったと思っています。
26年かけて築き上げてきた皆生の歴史を、新しい皆生大会に向けの活動が始まったことをご理解ください。