唐突ですが、みなさんは「比叡山千日回峰」という言葉をご存じでしょうか?
□□千日回峰とは□□
天台宗独特の不動明王と一体となるための厳しい修行。行者は、蓮の葉を象った桧笠をいただき、白装束に草鞋ばき、死出紐と宝剣を腰に、もし行半ばで挫折すれば自ら生命を絶つ掟のもとに、1年目から3年目は比叡山中255箇所を巡拝する行程約40キロを休まず各百日間、4年目と5年目はそれぞれ連続200日、計700日の回峰をする。700日終了の後9日間不眠・不臥・断食・断水で不動明王と一体になる「堂入り」の行を満じる。
6年目は京都市内赤山禅院往復が加わる一日約60キロの行程を百日、7年目は前半100日を僧坊を出て京都市内寺社を巡拝往復する一日84キロの「京都大廻り」、後半100日を山中約30キロを行歩する。7年間で合計1,000日を回峰し「満行」とする厳しい修行である。1,000日で歩く距離は約4万キロ、地球を一周するに等しい距離になる。
※堂入り:千日回峰行を目指す行者は700日の回峰を満じた後、不動堂に籠もり9日間、不眠・不臥・断食・断水で十万遍の不動真言を唱え、不動明王と一体になる行を満じる。生きたまま出堂できるかわからぬため、親族、一山の僧と別れの儀式をして籠もる「生き葬式」と言われる大変過酷な行。(酒井雄哉ホームページより)
比叡山に残る記録では、千日回峰を満行した行者は47人、その中で2回の満行はわずか3人。その内の一人が酒井雄哉さんです。
下記の記述はその酒井さんが新聞社のインタビューに答えた内容の一部です。生きていくことまた私たちのトライアスロンもこのことが一番大事なのではないでしょうか。
「話すことなんて何もないよ。特別のことなんかないんだなあ。
普通なんだから。行にしても、何のためにやってるか、自分でもわからないんだよ。とにかくやってるだけのことだな。
行とは何か、ですか。具体的には歩くということだね。山を歩いて一日終わる。その間に起伏に富んだ所もあれば、平坦なところもあるし、その日その日によって四季折々だよね。雨でも、強い雨もあれば冷たい雨もあるし、いろいろ違うでしょ。だから人生そのものなんだよ。歩くってことは、人生をそのまんま凝縮しているんじゃないの。人生そのものが行なんだろうな。歩くということは呼吸法だからね。息する呼吸と体の動きと気持ちが一つになっていないと歩けないもんな。気持ちが焦ってて、いらいらしてたら歩くったってしんどいし、呼吸が乱れてくる。呼吸が乱れてるのに落ち着いて歩こうとしたって無理なんだ。身口意三業(しんくいさんごう)相応念々歩々唱々、仏教にはこんな言葉がある。身(体)と口(呼吸)、意(気持ち)のバランスが崩れるとうまく歩けない。人生でも同じことが言えるわけだろ。その三つが崩れてたら、うまいこといかない。
一番恐れてることは、健康を害することだな。バランスが崩れると健康が崩れるからね。健康法といえば、自分を大切にすることだろうな。」
大阿闍梨 酒井雄哉氏(千日回峰達成者)
1992年2月16日 産経新聞
酒井雄哉さんのホームページ
http://www.sakai-yusai.com/