みなさんお久しぶりです。暖かくなり元気にトレーニングに励んでおられることでしょう。皆生大会の出場者も発表され、出場の決まった選手、残念ながら出場を逃がした選手もおられると思います。どちらにしても今年の大会、来年の大会に向け天候の良いこの季節にがんばって距離を踏んでおきましょう!
私の方は4月のワールドカップ石垣島大会、宮古島大会、5月のアジア選手権広州大会とオリンピック選考レースなどへの帯同が続き、少々あわただしい日々を過ごしていました。
それともう一つは、もうご存知の方も多いと思いますが、4月20日の宮古島大会をもってチームテイケイは活動を休止しました。現在は無所属ではありますが、Team BRAVE(チームブレイブ)というチーム名で、まずは北京オリンピックに向け同じメンバーで同じ場所で活動を続けています。ただ、合宿所だけは場所を移動しなければならず、とりあえずは大阪の能勢町という場所に移動しました。そこは長年のトライアスロン仲間であり、いつも応援してくれている方の建物なのですが、「しばらくここを使いいや!」と言ってくれ、荷物を移動し使わせていただいています。その引越しもたくさんのトライアスリートや友人の方々に手伝いに来ていただき本当に感謝しております。ありがとうございました。
さて、これまで2つの選考レースにおいて、チームの有力候補である田山はワールドカップ石垣島で日本人トップの9位になりましたが、オリンピック出場を決めることができていません。残すは6月8日にカナダバンクーバーで行われる世界選手権大会の結果によって出場できるかどうかが決まります。今はその日にベストの体調とベストの精神を作ることができるようトレーニングなどに励んでいます。もう一人のオリンピックを目指す杉本はその世界選手権に出場できるかどうか微妙な世界ランクにおり、今はみんなで神頼みといったところが現状ですが、本人はもちろん出場する気満々で元気にやっています。
チームテイケイとして最後のレースとなった宮古島大会では女子の久保田が3位、練習生の中山が4位と健闘してくれました。これもいつも応援していただいているたくさんの方々、そして、宮古島のサポーターのおかげと感謝しております。最後のレースに選手として出場できなかったことは私にとって非常に残念でしたが、久しぶりにレースをゆっくりと見ることができ、みなさんの応援ができたことはすごくプラスとなりました。「ピンチをチャンスに変えてやろう!」と思えていますし、今は自分がやるべきことをやろうと思います。
●アジア選手権広州大会
第17回のアジア選手権が中国広州にて5月2、3日の二日間にわたって行われました。今年はオリンピック代表選考レースともなっておりアジアの強豪が集まりました。なんといっても優勝した選手は自動的にアジアの代表としてオリンピック出場が決まるのだから当然みんなが狙ってきます。男子はここ数年、カザフスタンと勝ったり負けたりを繰り返していましたが、山本良介選手(トヨタ車体)がランの3キロ地点で田山、細田(ウィダー)、サプノフ選手(カザフスタン)を引き離し見事初のオリンピック出場を決めました。女子は中国勢との勝負かと思っていましたが、上位を日本選手で争うこととなり、バイクからランまで先頭で逃げていた成長著しい井出選手(ケンズ)とベテランの庭田(アシックス)選手を、ランの後半第2集団から追い上げてきた上田選手(稲毛ITC)が大逆転!見事としか言いようがないランスプリットでこちらも初のオリンピックチケットをゲットしました。
このほか、U-23の男女、ジュニアの男女、エイジのレースなども行われましたが、その中で印象に残ったレースを一つ。昨年までの3年間、U-23の男子はアジアで表彰台に上がれず、昨年の最高位は7位と日本の中でも穴と言われていました。今年も正直なところ期待薄であったのは事実でした。ところがいざレースが始まりランに入ると下村という選手が3番争いを繰り広げ、応援するこちらを熱くさせてくれました。さらにもう一人抜き2番手で私の前に来たとき思わず「下村!このまま行けばお前の人生変わるぞ!」と叫んでいました。そして、彼はこのカテゴリーで久しぶりに表彰台に上がり銀メダルを獲得。私のところに来て「このレースで人生変わりました」と言いました。その後、彼は毎週金曜日は50k離れた大阪の堺からうちのチームまでトレーニングに来ています。現在は大阪教育大学を卒業し英語の勉強をしながらアルバイトをして競技に打ち込んでいます。やることすべて、起きることすべて、言われたことすべてを吸収し、今はすべてが楽しくてしょうがないという彼は輝いていて、見ているとトライアスロンを始めたころのフレッシュな自分を思い出します。
今回大会が行われた場所は広州国際空港から車で約1時間くらいのところで、2010年のアジア大会が行われる場所であり、10もの大学が点在する学園都市といった場所でした。メインスタジアムもほぼ完成していて道路も広く整備されていてレースしやすい場所です。過去に中国で行われたアジア選手権に2度参加したことがありますが、とにかく観客が多かった。過去に9万人も観客がいた大会がありました。トライアスロンに興味が無くても、観に来る人がたくさんいるというのが中国と思っていたので今回も大変かもと思っていましたが、学生しか住んでいないからなのか残念ながら観客は全然少なかったです。でも、2年後のアジア大会にはたくさんの観客が集まるのではないかと思います。
嬉しかったことが一つ。私がトライアスロンを始めたのは1990年皆生大会50位から。その翌年には2位になり、3位は李 宇飛(リー・ユンフェイ)さんという中国からの招待選手でした。またその翌年の92年には私が優勝し、弟が2位で、3位が李さんでした。そのころの皆生大会のライバルでいつもレース中、エイドステーションで、李さんはジョージアの缶コーヒーを一気に飲み干していたのを良く覚えています。その李さんと今回10年以上ぶりに広州のホテルで再会しました。李さんのほうから声をかけてくれたのですが顔を見た瞬間、「あっ!李さん」とすぐに思い出しました。一緒にお茶でもと誘われたのでいろいろと話せたらと思い同じテーブルへ。どちらも片言の英語だったので通じない部分もありましたが楽しくしゃべることができ、今は近代五種のコーチをしていて少し前にはな、なんと!世界チャンピオンも育てたということ。「すごいね!」と言ったら「トライアスロンの方が面白い」と言っていました。「じゃあ、また復活して皆生で勝負しよう」と言ったところ、「できたらいいけど、今はあまり体を動かしていないから」と言ってました。帰国の前夜、彼は高級そうな中国のお茶のお土産を持ってきてくれ、再会を約束しました。