努力無限 皆生から世界へ③
努力無限 皆生から世界へ③

努力無限 皆生から世界へ③

努力無限通信 VOL.3
テイケイ株式会社トライアスロン競技部 
小原 工

残暑お見舞い申し上げます。暑い日が続いていますが皆さんお元気でしょうか?僕の住んでいる兵庫県では気温37度を記録し、今夏一番の暑さでした。27日に迫ったアイアンマンカナダ大会に向け調整段階に入りましたが、夕方でもジョグをするだけで短パンは汗でびしょ濡れです。おまけに日焼け止めの効かない僕の肌はすっかり真っ黒になってしまいました。

さて、今回から何回かに分けてトライアスロンを始めたころの話を書こうと思います。
トライアスロンを初めて知ったのは今から25年前、たまたま父親の車の中からペンライトを持って走っている人たちを目撃し「あれは何をしている人たち?」と父親にきいたところ「トライアスロンというらしいぞ!」中学2年生の時でした。「すごい人たちがいるものだ」と思ったものです。

僕が初めて自転車を買ったのは大学(仙台大学)を卒業して、そのまま大学の臨時職員と水球のコーチをしている時に仙台市内にあるing・・・というお店でP社製のセミオーダーの27インチでした。大学3年の頃にはトライアスロンをやると決めていたのでもっと早くほしかったのですが、水球をやめるまでは無理な話だったので監督に内緒で買い、休みの日に仙台市内に住む彼女の家まで国道4号を自転車でいくのがトレーニング(約40キロ)でした。もちろんランも大学のトラックなどで走ってましたがその年はレースには出れませんでした。

翌年、体育の教師を目指して米子に帰ることになり、県営のプールの臨時職員として働きながらトレーニングを始めたのです。トライアスロンと言えば皆生しか頭になかったので、無謀にも3ヶ月の練習で挑戦することに決めていました。それも上位を目指して・・・
最初にやったのはとりあえずバイクで大山を上ってみようと大山道路の坂を一人でいったところ乗馬センターの前で苦しくて上りきれず自転車を降りたのを今でも鮮明に覚えています。こんなことでは上位どころか完走すら出来ないと思い、皆生トライアスロンクラブの門をたたいたのです。練習会に参加すると自分よりも10以上年上のおじさん達がいきいきと練習しており、しかもほとんどの人が自分より速いのです。水球をやっていたからという勝手な思い込みで体力に自信のあった僕は完全に打ちのめされ相当頑張らないとみんなには追いつけないなと思いました。ゴールデンウィークの練習会では天気が良く暑いにもかかわらず、一人だけ長袖長タイツで参加し一人で汗だくになりながらペダルを回していました。みんなかっこいいバイクウエアーを着ているのに自分は持っていなかったからなのですが、なんせ臨時なので月給10万もなかったもので買えなかったのです!?そのかわり5段階式で角度の変わるサングラスは持っていましたが・・・
クラブ員のみなさんはみんな親切でいろいろ教えてくれました。バイクが得意な人に早朝一緒に乗ってもらい、ランの得意な人にトラックで一緒に走ってもらったり、スイムは自分がアドバイスしたりと、トライアスロンてなんて楽しいスポーツなんだろうとのめりこんでいきました。
クラブ員であり第5回皆生大会優勝者の細田さんにはトライアスロンのイロハを教えてもらったものです。「バイクではみんな上りでがんばって上りきった瞬間に休んでしまうけど、上りきって勢いをつけるまでは休んだらいけん」とか「マラソンは最初が苦しい、でも5キロ地点のキムラヤのパン屋まで我慢すれば楽になるけん」などまだたくさんありますけどね。ちょっと米子弁が入ってますが・・・    

そしてデビュー戦の皆生はどうだったか?この続きは次回です。