努力無限 皆生から世界へ⑨
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努力無限通信 vol.9
*宮古島合宿

2月に10日間、3月に約3週間、宮古島合宿に行ってきました。あちらも例外ではなく2月のほうが暖かく、3月のほうが寒かったです。寒いといってもバイクはこちらのように着込まなくてもアームウォーマーとレッグウォーマーを身に付ければ問題ないのですけどね・・・
島の人たちは「寒い寒い!」というのですが、僕らにとったら雨でも練習する気になれる気温なのです。やはり住んでいる環境が違うと感覚も違うのですね。

宮古島には、この時期合宿に行き始めてもう7年になります。それまでは沖縄本島の恩納村を中心に合宿を組んでいましたが、もっと安全にトレーニングできる場所を探して宮古島に行きつきました。実際にいってみると空気がきれいで交通量は少なく、食事はおいしい。(宮古料理は身体に良いものが多く最高です!)バイクに乗っていても車は大きく安全に避けてくれて安心して乗れる。さすがトライアスロンの島だと思いました。
そんないろいろな理由から宮古島で合宿することがチームの恒例行事となっているのですが、一番大きな理由に木多さんという方の存在があります。トライアスロンが好きで大阪から宮古島に移り住まれ、トライアスロンのすばらしさを広めておられる方です。
僕らが合宿中、困ったことがあるとどんなことにも対応してくれ何でも率先してやってくれます。中でも宮古島でしかできない実戦練習でレースさながらのトライアスロンをする時はボランティアを集めてくれ、コースの安全確認をしながら掃除し、海にはブイを浮かべ、道にはコーンを設置して安全に練習できるようにセッティングしてくれます。これで本番さながらの練習ができるのです。
こんな木多さんのおかげ、宮古島の島民の皆さんのおかげで今ではたくさんのトライアスロンチームが宮古島で合宿を張るようになりました。3月には全国から7チームが来島し、そのうちの5チームで51.5キロの実戦練習ができました。宮古島のみなさん、木多さん本当にありがとうございました。いつも甘えてばかりですが、この恩返しは選手それぞれがレースのがんばりで返したいと思います。木多さんが言われた言葉に「宮古で強くなるために合宿をされた皆さんのこと一日も忘れたことはなく、心のなかでいつも応援している」とメッセージをくださいました。我々選手もレースできつくなったとき宮古島を思い出して辛さを乗り越えることができるでしょう。

*バックグラウンド

最近では自分がやっていたバックグラウンドを生かして新しいスポーツに挑戦する人が珍しくなくなってきましたね。例えばスケートの選手が自転車選手や競輪選手に転向したり、最近では柔道やレスリング、ボクシングの選手が総合格闘技に挑戦したりと種目の移行が活発になっています。
以前、ある研修会で聞いて驚いたのは、オーストラリアのライフセービングの選手でビーチスプリントという種目の全豪チャンピオンのミッシェル・スティール選手(女性)がスケルトン(1人乗りのソリ競技)に転向して18ヶ月間の練習でトリノオリンピックに出場し13位になったという話を聞きました。ちなみに日本のトップの中山選手は14位でした。この結果にオーストラリアのライフセービング関係者は「ライフセービングが世界クラスの競技者を輩出する育成環境を有していることを示すことだ」と語っています。確かにトライアスロンでも活躍している選手の中にライフセービング出身という選手を良く耳にします。
海外では身体能力に応じて種目の移行が行われポテンシ
ャルの高い選手に特別なプログラムを与えて短期間での強化を図っているということです。これから日本でもこのような選手が増えてくることでしょう。

私の場合は、中学で競泳、高校から大学卒業まで水球をやっていました。水の中の格闘技と言われるほど激しいスポーツで練習時間が長くきついものでした。学校が休みの日になると朝練習は6000m~7000m泳ぎこみ、朝食を取ってから3時間ほどの基本練習、夕方からは試合形式の実戦練習で監督が「終わり」というまで練習は続き、一日10時間近く水の中でした。もちろん強く上手くなるためにチームで目標をもってやっていたのですが、なんせ時間が長く集中力が途切れてしまうので、「いかに監督に気づかれない様に手を抜き楽をするか」しか考えていない自分もいました。
そんな弱い自分だったので目標は達成できずに水球は卒業したのですが、中学、高校、大学とすばらしい恩師に恵まれ、競泳と水球を通していろいろなことを学び経験できました。そのバックグラウンドがトライアスロンに生きたのです。
皆さんも経験があると思いますが、「トライアスロンをやっているなんてすごいですね」と良く言われますよね。やっている自分は全く凄いとは思っておらず、そう聞かれると「誰でもできますよ。楽しいですから。」といつも自然と答えます。
水球をやっていたときのことを思うとトライアスロンは楽しくて楽しくてしょうがありません。しんどい事もありますが楽しいと思うことのほうが先行するし、自らきついことに挑戦できます。だから強くなれたのかもしれませんが、僕は水球を経験できたからこそ今の自分が
あるのだと強く思っています。トライアスロンを始めた当初はまさか自分が日の丸をつけて海外に行くとかオリンピックに出場するなんて夢にも思っていませんでしたから・・・人間何が起こるかわからないものです。

これからは、このバックグラウンドから経験し得たものを後輩たちや子供たちに伝えていきたいと思っています。
今シーズンはチームのプレーイングコーチとして先ずは背中で後輩たちを引っ張っていきます。そこからいろいろな事を感じてもらえればうれしいですね。

鳥取県米子市はトライアスロン発祥の地という歴史と環境を持っていて、ライフセービングの活動も活発に行われています。将来はそれを生かしそこから自分を超えるオリンピックで活躍できる選手を育てたいものです。