努力無限 皆生から世界へ⑩
努力無限 皆生から世界へ⑩

努力無限 皆生から世界へ⑩

先日の宮古島大会、小原選手は10位フィニッシュ。
本人は、もう少し上を目標にしていたようですが、40才を過ぎて若手の指導をしながらの順位ですから、素晴らしいですね。

努力無限通信 vol.10

みなさんこんにちは。4月22日に第23回全日本トライアスロン宮古島大会に出場してきました。これを読んでおられる方の中にも選手として出場された人は多いと思います。
お疲れさまでした。そして、大会スタッフ、関係者の方々、ボランティア、島民のみなさんすべて方々に感謝申し上げます。ありがとうございました。
大会は最高に盛り上がり、応援も多く楽しい一日を過ごすことができました。あとは自分とチームの後輩たちが良いレースをすれば言うことなしでしたが・・・

*ワールドカップ石垣島大会

4月15日にワールドカップ第2戦石垣島大会が行われ、チームの後輩田山と杉本が出場するためサポートと応援をしに3年ぶりに石垣島に行ってきました。7年前にはここで銅メダルを獲得しワールドカップで最初で最後の表彰台に上がった思い出の地。あの時は地元大浜中学の生徒たちや先生方、島で知り合いになった人たちやたくさんの島の方々の応援に後押しされ自分でも不思議な力が出たことを思い出しました。その経験を何とか田山と杉本に伝えたいと思いレースに同行してきました。
二人とも故障や悩みを乗り越えて、「レースは何が起こるかわからない。やってみなけりゃわからない!」とプラス思考でレースに望みました。

北京オリンピックを来年に控えランキングを上げるために世界の強豪が76名も集まりレースがスタート。
激しいバトルのなか田山は8位で杉本は50番台でスイムアップ。バイクに入るとオーストラリアのアトキンソンとウォルトン、エストニアの選手の3人が逃げを決め、田山はその次の大きな集団で冷静にレースを進め、杉本は第4集団と苦しい展開。結局杉本は集団からもちぎれてしまい何人かの選手とともに周回遅れでランニングに入ることができず悔しい結果となりました。

一方田山はランに入り10位争いを山本選手(トヨタ車体
)とともに5人で展開。ラスト1キロあたりで自らスパートし集団をばらけさせましたが、トップ10には一歩及ばず12位(日本人トップ)。山本選手は14位。田山、杉本ともそれぞれ世界で戦うための自分の課題を見つけ次のレースに生かしてくれることでしょう。
良かったレースも悪かったレースも次に生かすかは本人次第なのです。悔しい思いをするから強くなれる。
みなさん次に期待してくださいね!

  チームテイケイ宮古島大島出陣式

*第23回全日本トライアスロン宮古島大会

石垣島大会の翌日、今度は自分のレースのため石垣島から宮古島へ移動。ワールドカップに出場していた元チームメイトの西内選手(ワールドカップ36位)と一緒に県外選手としては一番で宮古入りしました。何事も一番にするのは良いことだなと思い、レース3日前の受付も一番をねらっていきましたが先着の方がおられそれはかなわず。なんとその方は2年連続受付一番のりと新聞に載っていました。
今年はレースに向けて体調は万全とはいきませんでしたが、後輩たちにも言ってきたように、「どんな状態でもレースが始まるまで、少しでも良い体調にもっていけるよう工夫努力する」ことが大事です。長年私が選手としてやってこれたのもこれを忘れなかったからでしょう。仕事をしながらレースに出ている皆さんも、しっかりと練習が出来て体調も良いという人は少ないのではないかと思います。それぞれの工夫や努力があるからこそ目標に向けてがんばれるのでしょう。

さて、レースのほうはというと当日は曇りで湿度が高く蒸し暑い一日となりました。私にとっては良い感じ。スイムはオープンウォーター元日本代表の疋田選手を中心にレースが展開され、それに西内選手と韓国のオリンピックディスタンスの選手がついていき、私はもう一人の韓国選手とともに4番手で約50秒遅れてスイムアップ。思っていたよりも良い展開!さぁここからだと気合いを入れてトランジッションバックをすばやくとって着替えのテントまで。袋からヘルメットを出してウエットスーツを袋に入れ始めたところヘルメットが自分のではないことに気づき一瞬目を疑いました。
「あれ!?」袋の番号を見るとレースナンバーがとなりの藤原さんのでありました。「やばい!」とすぐ身体が反応しテントを出て逆走。恥ずかしいと言うよりも早く元に戻して自分のを取らなければともうダッシュ。後からスイムを上がってきた選手が不思議な顔をしていま
したが、自分は必死でした。「やってしまったことはしょうがない」と前向きに考え、気を取り直してバイクスタート。ちょうどチームの後輩の三木と一緒になったので「行くぞ!」と声をかけ遅れを取り戻しに・・・

何人かを抜き、前によくトレーニングやレースで戦った竹内鉄平選手とともに前を追っていると40キロあたりで優勝候補のパク選手(韓国の第一人者)らの集団が追いついてきて、しばらく大きな集団に。ドラフティングすれすれの走りにマーシャルが厳しく取り締まってくれたおかげで3人の選手がペナルティーを取られ、集団がばらけました。
そこからはパク選手の独走。2番手にはバイクの強い池形選手、3番手に松丸選手で私はと言うと10番目あたりか。

マラソンは11番目にスタート。今回は走りこめていなかったので自分のペースを乱さないよう考えながら走り出す。まもなく疋田選手、池形選手を捉え9位の位置。韓国選手が追いついてきて二人で走っていると篠崎選手に追いつき3人に。15キロあたりついに年上の藤原さんと桑原選手(チームゴーヤ-)が僕らを抜いていった。恐るべし43歳。
負けられないという気持ちはあるが足が前に出ない・・・韓国選手、篠崎選手にもおいていかれた。「ここから、ここから」と大学の先輩からの応援。しっかり補給をしてもう一度ペースを上げないと後ろから他の選手が追ってくる。後半はただひたすら粘るだけだ。9位を走っていたが、ラスト6キロで箱根を走った経験のある新鋭飯干選手(ウィングスT.C)に抜かれ10位でのゴールとなった。
練習はうそつかない、ごまかしがきかないのがロングのレースだ。
もちろん満足はできないが粘るレースはできた。
ペンションMU-の皆さん、津嘉山荘の皆さん、郷家の皆さん熱い応援をありがとう!そして、島民のすべての皆さんに感謝です。タンディガータンディー!!!

優勝はパク選手、2位松丸選手、3位西内選手・・・10位小原、18位三木(テイケイ)、女子は7位久保田、10位中山(テイケイ)でした。監督の八尾は練習をほとんどしてないにもかかわらず104位。バイクまではいい位置をいっていました。普段を見ている僕は驚きでしたね。「昔の貯金や!」と本人は言ってましたが・・・

レースの翌日の朝は、アフガニスタンチャリティー支援などいろいろな活動をされている加藤さん(埼玉県連合)の呼びかけでゴールの競技場付近のゴミ拾いを脚を引きずった30人ほどの選手で行い、心地よい疲れを感じることができました。来年は皆さんもいかがですか?