皆生大会では、第8回大会で初めてスイムを中止してバイクとマラソンによるデュアスロン競技で大会を開催した以降、5年後の13回大会でもバイク&ランによるデュアスロン競技を実施した実績があります。
このときは、選手を10人ずつにグループ分けして2分間隔でバイクスタートしていきました。
しかしこのスタート方法では、フィニッシュしも最終順位は、分からずまた沿道で声援を送る人たちにも順位への興味が薄れてしまう弊害がありました。
そしてその後再び5年後の18回大会にも波が高くスイムを中止しましたが、過去の反省からスイムに代わる競技として1stランを採用しました。
一斉スタートすることによりレース自体の醍醐味を失うことなく大会を運営することができるようになりました。
しかし今年の場合は、過去のさまざまな教訓はまったく参考にならない状況と直面することとなりました。
大会そのもののが中止になる可能性があったのです。
それでなくてもメイン会場を皆生から東山総合運動公園に変更したりマラソンの折り返しを境港・鬼太郎ロードに移したりと過去にないほどの大幅変更を加えた大会に台風の直撃というありえない状況のなかでの開催となったのです。
台風の進路予想図とにらめっこしながら大会開催の可能性を検討してしました。
金曜日の段階で早々にスイム中止を決定。その後台風の進行速度が思ったほど速まらず、また当初の予想より進路も北側を通過するため大会への直接的な影響は、避けられないと判断。山間部を走るバイクコースでがけ崩れや増水などの危険性も予想されバイク競技も中止する可能性も考えられました。この場合は、マラソン競技だけでも実施することとなりますが、歩道を走るマラソン競技では実施する価値もないのではなどとの指摘もありました。
当日各地で開催される予定の大会が次々中止または延期が決定されていく中、最後の最後まで開催への可能性を求め続けました。
選手とボランティアの安全性を確保しながらのコースとタイムスケジュールが決定したのは、なんと開会式の2時間前でした。
スタート時間をずらしバイクコースをショートカットしてトップ選手のマラソンスタート時間を昼の12時前後にすればマラソンコースや最終フィニッシュのスケジュールを変えなくてもことになる。
決定後のスタッフの動きは、素晴らしかった。
関係する部署がそれぞれ連動し合い有機的に機能する組織は27回の歴史が作り上げた最高の産物であることの証明となりました。
バイクコースが短くなった分、ボランティアの数も2200名と例年の3000名より少なくはなったものの2200名のボランティアが前日の昼過ぎの日程変更に対応してそれぞれの役目をしっかり務めたわけですからスタッフのみならずボランティアのレベルも推して知るべしです。
このような状況の中で、無事故で大会を終えることができたのは、大会を支えるスタッフ・ボランティアそして応援してくれる地域住民の協力の上、それぞれの安全を確保しながらレースに望んだ素晴らしい選手の努力の結果です。
前述したように今年の大会は、多くの変更があり先週の皆さんに十分満足いく大会になったかどうかは定かではありません。
しかし大会を支えていくすべての人々の思いは普遍です。形は少しずつ変わっていきますが、新しい皆生大会を皆さんとともにスタートを切ることができたことを心から感謝しています。
選手の皆さんから頂戴したアンケート結果を参考にして来年の大会準備に既に入っています。
これからもご意見・要望お寄せください。
皆生大会は、これからも参加者全員で積み上げていく大会を目指していきます。