北京オリンピックまであと3ヶ月ちょっととなりました。
各競技種目の代表を選考する大会が盛り上がっています。
そこで今回は、4月15日から20日まで東京・辰巳国際競泳場で開催された競泳日本選手権兼北京オリンピック選考大会へ行ってきました。
毎年この時期に競泳日本選手権は行われているのですが、オリンピック選考会を兼ねた選手権はいつもの選手権とは全く会場の雰囲気が異なるのです。
私はここ最近は毎年のように会場でレースを観ているのですが、4年前もそうであったようにオリンピック出場権がかかるとあって会場全体が高い緊張感に包まれています。
また選手だけでなくコーチや関係者の表情や動きを見ているだけでも選考会の緊張感がこちらにも伝わってくるのです。今回は大会2日目の競技を観戦しました。
女子100mバタフライの決勝は本当に興奮しました。タッチパネルのラインで前から3列目という最高の席にもかかわらず中西悠子選手の残り5mからの逆転は、なにが起きたのかスタンドからは判らないほどわずかな差でした。後でビデオでゆっくり観てみたのですが、2位の選手はタッチ板の1m前では間違いなくトップだったのを最後のキックの勢いで逆転していたのです。
オリンピックにかける選手の想いの強さがこの結果に繋がっていくのです。前日に日本記録を出して決勝一番残りの土肥選手が派遣記録を破りながら3位で代表を逃しました。表彰式での彼女の表情にオリンピックへの思いとその厳しい現実を垣間見ました。
北島康介選手の100m平泳ぎも目の前で観ることができましたが、残念ながら記録はオリンピックへ持ち越しとなりました。
こうした選手達の息づかいだけでなく日本を代表するアスリートの栄光や試練そしてその過程を通じて成長していく様子を見るのも本当に勉強になるのです。
アテネ五輪の女子背泳ぎで確実視されていた伊藤華英選手は、代表の座を手に入れることは出来ませんでした。これについて本人は「オリンピックで世界と戦うのが怖かった。自分に負けてしまった。」と述懐しています。アテネ五輪が終わって埼玉で行われた国体で伊藤選手は初めてライバルの中村礼子選手を破って初めて日本ナンバー1の座を手に入れました。これが一つの契機となり今回も100m背泳ぎで実力ナンバー1といわれている中村選手を押さえて選手権を手にしたのです。
またシドニーオリンピックで女子100m背泳ぎで銀メダルを獲得した中村真衣選手も私たちの目の前の席に座っていました。彼女はシドニー五輪後、目標を失いかけていた時期があったようです。言い方がちょっと不適切かもしれませんが、余り周りに気を遣うような選手ではなかったようですが、2004年10月に起きた中越地震で本人も被災し車の中で寝泊まりするような生活を体験したそうです。その後、今まで自分を応援してくれた地元の人たちに自分が再び世界に向かってガンバル姿を見てもらうことで彼らを励ますことが出来るのではないかと思い一度競技から離れていたにもかかわらず翌年の日本選手権に出場して世界選手権の代表となったのです。
私が心から尊敬する南部忠平氏(1928年ロサンジェルスオリンピック3段跳びゴールドメダリスト)が晩年、飲みながら私に語ってくれた言葉。「遅いより速いほうがいいに決まっているよ。でも速いだけじゃダメなんだ。たかがスポーツ、されどスポーツなんだよなぁ。スポーツっていいもんだよ。」
トップアスリートの姿に色々なことを学ばせてもらった日本選手権でした。